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zoom RSS 25年ぶりの(多分)都井岬へ、そして特攻隊慰霊碑の地まで行って来ましたぁ。。。

<<   作成日時 : 2010/12/27 17:15   >>

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都井岬灯台は相変わらず静かで雄大だったよ。


          ウイキペディアで詳しく見てね!
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宮崎着二日目。

この日もすっごくあったかくて青空が広がる素晴らしい天気に恵まれました。

数時間、こころゆくまで都井岬で過ごし、おいしい空気をお腹いっぱい吸って遊んで来ました。

宮崎市内から3時間?くらいかな。国道220号線はいつの時代も渋滞もなく、信号機の無い田舎道。

東京のお友達は信号機が無いのに驚き、このあったかさに驚き、宮崎弁の流暢なもの言いに吹き出し、

ま、何とかそれなりに楽しんでくれました。

私も本当に久しぶりの都井岬の全てに感動!!途中に出会う野生の馬や野生の猿たちに癒されたぁ。


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この野生の馬たちは都井岬の一帯に棲息してていたるところに出没してるの。

おとなしくてただひたすらモグモグモグモグ草を食べて日がな一日ぶらぶらしてる感じ。

傍に近づいても全く反応なし!じっと撫でられてるし。。。改めて動物の命を目の当たりにしたかも。

口蹄疫が馬に感染する病気でなかったことは大きな喜びだわ。野生猿も見かけたけど写真が無いなあ〜。


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この日、夕方4時半頃に宮崎市内に戻り、かつてブログにも書いたことのある「大刀洗陸軍飛行学校木脇教育

隊」の元・少年兵たちの飛行訓練が行われていた「六ツ野原」へ車を飛ばしました。

特攻隊の生還者二百名余の有志と東諸県郡国富町役場の当時の町長・職員の方々の力で建立された

「木脇教育隊・慰霊碑」のある地に足を運んだのも約20年ぶり。記憶に残る背景の一部が撤去されてたけど、

私には涙がこみ上げるほどに懐かしい場所でした。


       忘れられない人たちへ


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        20年前”慰霊碑”の周りに植えられた桜の木。


            当時は幼木だったのにこんなに枝を広げていました。




記念樹の桜幾本風吹けば幹もろともに揺れてよろこぶ


この土地にいつか桜花の吹雪くらん桜若木が風にふるえる
(平成二年作)


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慰霊碑のある場所への道が途中で分らなくなり、その付近の方二人に道を尋ねながら辿り着いたこの日。

かわいい女の子たちのいい遊び場所になってるらしく、慰霊碑に上って数人の女の子が遊んでました。

戦争はおろか、まして「特攻隊」と言う呼び名さえ知らない子供たちにとって、この慰霊碑は毎日どう映って

るんでしょうかねえ〜。でも、若くして散った命も、高齢のために既に死者となった命も、もしかしたら

この子供たちに護られているのかも知れない、って思ったらうれしくなりました。

いつの時代にもここが子供たちの集まる場所として永久に永久に残されることを祈ります。


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悲しいことに慰霊碑建立のために力を尽くしてくださった方々の多くが高齢で既に亡くなっています。

でも、幸いにして90歳と言う年齢に達しながら今もご健在という特攻隊の生還者の一人にお会いし、

一人とは電話でお話することが出来ました。電話でお話が出来た方は「今でも近くなら車の運転するんだよ」

っておっしゃってびっくり!金沢市内で日々野菜を作って、ご近所や色んな施設に無料で配ってるとか。

来年の春、雪も融けてあったかくなったら是非!一度金沢市まで会いに行こうと思います。

細身で背が高くてとっても優しいおじさんです。はてさて今はどんな風に歳を重ねておられるでしょう。

お二人ともずっとずっと長生きして戴きたいです。

この後、美しい夕焼けに背を向けて再び市内へ戻りました。

今日もきっと冷たい風が吹いてるでしょうねえ〜。あの子供たちも遊びに行ってくれたかなあ〜。




長い記事を読んでくださってありがとう。


今日はコメント欄、閉じておきますね!本当に本当にありがとぉおおおおおおおお。









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